こんにちは、沙木貴咲です。筆者は10代の終わりから20代のほとんどを、いわゆる『メンへラ』として生きていました。
人間関係や仕事がうまくいかず、恋愛も破綻したものが多かったのですが、映画『生きてるだけで、愛。』は、そんな過去を思い起こさせるものでした。
何もかもが不安定で、すべては結局壊れてしまう……というメンへラのリアルが、そこには生々しく描かれていたのです。
うつ、過眠、ニート。一番苦しいのはいつも自分
映画『生きてるだけで、愛。』は、うつで過眠症、ニートの寧子と、その彼氏である津奈木を中心にした人間関係が描かれます。
寧子は、人との距離感をはかるのが苦手で、感情表現がうまくできず、言動は自己中心的。
映画の主人公でありながら、観る人の共感を得にくいタイプです。
でも、メンへラのリアルとはそういうもの。つねに感情と人格は暴走して、周囲だけでなく自分自身も振り回され、苦しむのです。
約10年患っていた筆者の主観で述べさせてもらうと、一番苦しいのはいつも自分。
周りに迷惑をかけて、心配させているとわかっているけど、やっぱり一番苦しんでいるのは、メンタルを病んでいる本人だと思うのです。
他人に理解してもらえない、認められないという恐れと諦めがあるのに、うまくやろうとする自分もいて、それが滑稽に思えたり、バカバカしく感じたり。
自分は世間の常識から外れているという思い込みなのか、セルフコントロールがきかない心に対する苛立ちか、ささくれ立った不快な雰囲気がつねにまとわりつく。
……そんなわけで、メンへラは当然ながら敬遠されがち。他人から好かれる、親しみやすいメンへラなんか、いません。
唯一の存在である自分自身が理解できず、コントロールできないがために、メンへラはつねに自分と戦って、疲労困憊(こんぱい)しているのです。
そんな壊れた寧子を受け入れるのは、すべてを静かにやり過ごす津奈木。
メンへラとくっつく男性は、少なからず普通じゃないところがありますが、津奈木もそうなのでしょう。普通の人の顔をして仕事をして、同僚と世間話をして、合コンにも参加するのに、決して健常とはいえず、やっぱりどこか壊れたところがあるんです。
メンへラとの恋は、薄氷を踏むようなもの
映画を観る限り、寧子の正式な病名はわかりません。でも、単なるうつというより、人格障害を伴うものだろうと、約10年患っていた筆者は考えます。
一対一の人間関係を構築しづらく、信頼し合える人を求めるのに、「私はどうしても受け入れてもらえない」という拭えない絶望から、大切な人を突き放し、みずから関係を壊してしまうという……。
そんな寧子の振る舞いは、過去の自分を見ているようで、とてもつらく複雑な気持ちになりました。
普通の人であれば、「好きな人と一緒にいるだけで幸せ」と思うのでしょうが、メンへラは「好きな人と一緒にいると不安になり、つらい」と思うことのほうが多いかもしれません。
壊れた自分を受け入れてもらっているという自信や安心がないとか、自分を理解してほしくて恋人に要求してばかりなど、心はなかなか休まらないのです。
だから映画の中でも、寧子と津奈木の関係が穏やかに描かれることはありません。見つめ合って微笑みながら甘いセリフを囁き合う……なんて場面はないんです。
暴走する寧子をひたすら追いかける津奈木や、無言の津奈木に強い口調で迫る寧子だとか。
二人の恋はつねに不安定で、いつ崩れてもおかしくない、薄氷を踏むようなものなのです。
普通の男性には耐えられない、メンへラの愛
津奈木は静かに、寧子を受け入れます(受け流す?)が、メンへラ女子と付き合う男性のほとんどは、しばらくすると「耐えられない」と逃げてしまうでしょう。いわゆる普通の恋人関係が成立しないのですから、当然かもしれません。
恋愛は結局のところ、人間関係ですから。ある程度しっかりとした自分を確立していなければ、相手とのバランスが取れなくなってしまいます。
長続きする恋人同士ほど、それぞれが自立していて、相手に依存や干渉はしないものなのです。
メンへラ女子は、自分の心が把握できずセルフコントロールもできないため、まず精神的な自立ができません。
自分の価値や生きている意味がわからないので、彼氏に依存することで答えを見出そうとします。
そのため、つねに彼氏がそばにいないと不安で、束縛したがり、少しでも離れると「どうして真剣に向き合ってくれないの?」と詰め寄る……そんな関係に彼氏はまったく安らげないでしょう。筆者もそんな感じでした。
男性はそもそも、恋愛に癒しや安らぎを求めるもの。それが皆無のメンヘラ女子との恋は、やっぱり長続きしないのかもしれません。
筆者も病んでいた当時は、恋人との関係性が安定して長く続いたことがなく、唯一付き合いが続いたのは、浮気が多くDVをする彼氏でした。とんでもない人でしたが、そんな普通じゃない人としか一緒にいられなかったのです。
「生きてるだけで、ほんと疲れる」
作中、寧子のセリフにこんな印象的なものがあります。
「あーあ、やっぱダメかなぁ。ほんと疲れるなぁ、あたし。生きてるだけで、ほんと疲れる」
ロボットアニメになぞらえるとして、自分が脳というコックピットに乗り込んで肉体と感情を操縦しているのだとしたら、メンヘラは何をどう操ってもコントロールが効かない状態です。
でも、コックピットから降りることはできず、別の肉体に乗り移ることもできず、操縦不可の状態で日々過ごしています。
……疲れないわけがありません。でも、この感覚は普通の人には、なかなか理解してもらえないもので、メンへラからすれば悩ましいポイントだといえるでしょう。
そして、寧子は津奈木にこんなことも言っています。
「あんたが別れたかったら別れてもいいんだけど、あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね、一生。いいなぁ、津奈木。あたしと別れられて、いいなぁ」
長年病んでいた筆者としては、このセリフが一番心に響きました。当時のさまざまなことがフラッシュバックして、しばらく続きが観られなかったほどに。
唯一の自分が理解できず、コントロールできない苦しみが、このセリフにすべて込められていると思ったのです。
けれど、普通の感覚で生きて、恋愛をしている人には、たぶん一生理解できないセリフだろうと思いました。寧子が何を言っているのか、セリフの意味を汲めない人もいるのでしょう。
わかる人の心には、痛いほどに深く刺さる
『生きてるだけで、愛。』には、メンへラのリアルと苦しさ、普通に生きていきたいという切望と絶望、恋人と一緒にいて理解し合おうとする葛藤……すべてが生々しく描かれています。
趣里さんと菅田将暉さんという、人気俳優がダブル主演を務める魅力的な作品ではありますが、観た人すべてが共感でき、理解できる映画ではないと思います。
わかる人だけが、号泣するほどにわかる映画。
心の繊細さと不安定さに悩む人は、きっと「そう! そうなの。私が言いたいのはコレなの」と思えるはず。
そして、誰と付き合っても長続きしないメンへラ女子は、寧子に自分を投影して、「こんなんじゃダメだよね」と苦笑いしながらツッコミたくなるのかも。
安定した恋人関係を続けるには、“生きてるだけで疲れる自分”をどうにか操縦できるようになることが、必要だと気づくでしょう。
(沙木貴咲/ライター)
『生きてるだけで、愛。』’18年、11月9日から全国ロードショー。
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