愛は目に見えないもの、だからこそ人は、形でそれを確かめようとしますが、それが本当に愛であるという保証はありません。
一見愛していると思う彼の行動も、ただ可愛がっているだけで、心の底からは愛していないケースもあるので、目に見えないものを形で確かめようとしても、愛は見えてきませんよ。
「愛」と「可愛がっているだけ」の微妙な差から、彼の本当の気持ちを見極められる心の目を養いたくありませんか?
「〇〇をしたら愛」を捨てることから始める
まずは、「〇〇をしたら愛」と思うことを捨てることから始めましょう。
この考えを捨てないと、何年たっても「愛」と「可愛がっているだけ」の微妙な差はわかることができません。
こう考えてみて下さい。例えば、口が利けない人や四肢が不自由な人は、愛の言葉を囁くことも好きな人を抱きしめることもできませんよね。でも、そんな人も誰かを愛していますし、その愛を感じ取ることはできるのではないでしょうか。
できるのにしないのと、できないからしないのとでは、少し意味が違いますが、それでも、このような話を聞けば、愛は形ではないと思うのでは?
また、昭和の亭主関白なお父さんたちは、奥さんが喜ぶような愛を表現しない人が多いですよね。
現代人の感覚から観れば少し冷たいと思いますし、「酷い扱いをしている」と思うようなこともありますが、昭和のお父さんたちは奥さんを愛していないかと言えば、そうではありません。深いところでは、愛を抱いているのです。
目に見える形だけを求めれば、当然、目に見えない愛というものを感じ取ることはできません。
人間というのは複雑ですが、複雑なことを考えたくないのが人間です。
だからこそ、わかりやすい表現や目に見える形が欲しくなってしまうのです。
また、愛を抱いていても悟っている訳ではありませんので、愛していても全てを許すことはできませんし、例えば、我が子に抱くような愛を、妻や恋人に抱くのが難しいこともあります。
愛していても、傷つけ、悲しませ、怒りを覚えることもあるので、「愛していれば〇〇はしない」「愛していれば〇〇をする」と簡単に考えてしまうと、愛を感じ取ることは難しいのではないでしょうか。
深い思慮で「愛」と「可愛がっているだけ」の微妙な差を見極める
「愛」と「可愛がっているだけ」の微妙な差を見極めるのは、非常に難しいと思います。
例えば、大好きだけど愛とは違う感情の人もあれば、愛という感情がよくわからない人もいますよね。また、日や気分によって変動することもあるでしょう。
愛が芽吹き、育てば、気分が変動しても根っこには愛情がありますし、愛まではいかないと思っていても、実は愛が芽吹いているケースもあります。
それをどう見極めるかなど、不可能に近いのです。
ただ、日頃の言動、人となり、どのような幼少期を経て、どのように成長し今に至るのか、そのようなことを深く考察することにより、自分に愛を抱いているか否かを推測することは可能かもしれません。
夜の営みの後、彼がギュッと抱きしめて愛でてくれたら、愛されていると実感するでしょう。
確かに、愛情を抱いている女性には、そういう行動を男性は取りがちですが、その日は無償に愛おしく思えただけかもしれませんし、愛が芽吹いた瞬間かもしれませんし、エチケットとしてそのようにしただけかもしれません。
また、月日が経つと、その芽が枯れてしまうこともありますし、どんどん育っていくかもいしれません。
こんなことを言えば頭が混乱するかもしれませんが、複雑な感情を推し量ることはできなくても、深く考察して、その人が見えてくれば、「他の女性には抱いたことのない感情を自分に抱いている」とか「好きだろうけど、まだ深い愛を抱いているとは言い難い」など、何となくわかってきますよ。
さいごに
具体性がなくて申し訳ないのですが、今回は、「〇〇をしたら愛している証拠」などという短絡的なコラムにはしませんでした。
理解は難しいと思いますし、愛は形ではないと言いましたが、愛していれば、やはり、行動にその気持ちが出てくるものなので、それらも加味しながら、深い考察をし、そして、一番大切なのは、目で見るのではなく、心で感じることです。
心が、魂が、愛を感じたら、たとえその後別れても、次第にケンカが多くなり憎しみ合う関係になっても、その時には愛があり、愛情を注いでくれたという事実には変わりありませんので、愛を斜に構えて捉えないように。
愛というのは、とってもシンプルなのですから。
(瀬戸 樹/ライター)
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